初めまして!当ブログ「BarBaBoo!」の管理人、まさなりのプロフィールです。
これを読み終わる頃には何となく僕のことを理解していただけているはずです( ̄▽ ̄)
前提ですが、飲食店で働くのが好きですでした。お祭り営業ですでした。従業員と客が寄ってきますました(笑)
2020年8月24日追記
上記訂正線、すみません。最近は正直、飲食の営業を楽しめていないです。色々要因は考えられますけど、雇われていること自体に主体性を見出せなくなってきているからだと分析しています。
takkyて誰?プロフィール
1991年生まれ、高校卒業までずっと広島市安佐南区で育ちました。住みやすくて良い町なんです。自然豊かと思いきや、広島市の中心街に30分あれば行けてしまいます。
両親は自営業でカフェをやっています。かれこれ30年以上続いているお店なので、「知る人ぞ知る」ですね。人気店かどうかは別です(笑)
両親のことを「めっちゃすげえ」と思ったことはないですが、何の業界であれ30年続けているというのは、世界的に見ても超一流だと思います。ありがとう。人気店かどうかは・・・
2020年8月24日追記
自分がせどりで開業届を出して、実際に10ヶ月ほど営業してみて思うのは、「両親マジですげぇ」だけです。
幼いころから
年上に物怖じせず絡む。先生に意見を言う。納得いかないことはしない。すぐ飽きる。どうしようもない僕の、「三つ子の魂」だと思ってます。善し悪しですね。
当時から何をやっても長続きはしたことが無くて、ちょっと手を出して「あー、分かった。」「あ、これは無理。楽しくない。」と思うと飽きてしまう子供でした。
ですが、割となんでもできる子でした。スポーツも勉強も、普段何もしていなくてもスッと上位に入るような。逆に、何かで圧倒的1番になったことはなかった気がします。
中高生時代
仲の良かった友達がミニバス経験者だったこともあり、何となくバスケ部に入りました。これが間違いなく人生の転機だったと思います。
今まで27年間(2018現在)生きてきた中で、唯一自分に厳しく戦った6年間でした。
普段は嘘もズルもめっちゃ使っていますが(←)、この6年間だけは本当に一生懸命戦いました。一歩とか、1秒とか、そんな細部にこだわるまで、バスケを極めていきました。
自宅にリングを買ってもらうほど好きでした。おかげで今でもあほみたいにシュート入ります。
という訳で身長168㎝の僕は、必然的にポイントガード(スラムダンクで言ったら宮城リョータ)で使われるようになります。ポイントガードの中でもディフェンスと3Pシュートに特化した存在になりました。
相手のポイントガードか点取り屋を徹底的に潰していましたので、試合中に喧嘩になることも多かったです。そうとう勝気にやってましたね(笑)
あ、そうそう。バスケは好きでしたが如何せん、団体競技に向いていなかった(笑)
僕一人はどんどん上達するのに対して、チームは県大会にも出られない状態がずーっと続きました。
そして、人生最大の後悔もバスケです。唯一人生で本気になれたこと、楽しくて勝手に上達していたことを、「続けられる選択」が残っていたにも関わらず辞めたこと。
打ち込めることや夢があるのは素晴らしいことです。見出せずに毎日をふらふら生きている人なんて沢山います。
まぁ結果、バスケを通して勉強になったことは沢山あります。
・夢は何歳になろうと、誰が何と言おうと追い続ければいい。
・僕は協調性が低く、団体競技に向いていない。
・好きなことはいつの間にか上達する。
この辺は特によくわかりました。
中高生の頃は本当にバスケしかした記憶がないので他に書くことはありません。今思うと、友達が異様に少ないのはこれが原因ですね。
僕、地元に帰って連絡を取る友達が一人しかいませんw
2020年8月24日追記
そいつ結婚して子供生まれました。
大学生
進路を決めるときに、何となくの興味で「水族館って面白そう」と思い、専門学校を受けるつもりでいました。
親には反対され、担任にも大学に行くことを勧められました。今の僕からしたら「子供が興味を持っていること」に対して反対する大人なんて信じられません。
ですが「指定校推薦」というものがあり、試験を受けることなく面接のみで大学に通るのは僕にとって大きなメリットでした。
受験勉強しなくていいなんてことある?指定枠があって「楽」という理由だけで九州産業大学へ進学することになりました。
立派に進学したわけでもなければ、偏差値の高い大学に入ったわけでもないです。
そうそう、実際に飲食店で勤務したのは大学時代のアルバイトが初めてです。
大学4年生の頃、福岡県でも有数のBARチェーンで働いていました。この時「出来なかった」経験が、社会人になってからもう一度、僕をバーテンダー業界に引き戻すことになります。
就活は何だかんだで周りと一緒に行いました。ここで何故か天才を発揮して、瞬殺で就職を決めます。
周りが60社の説明会受けて、20社選考受けて、2つ内定取るのに対して・・・
僕は10社くらい説明受けて、4社くらい選考受けて、2つ内定取りました。
行きたい業界や業種はありませんでしたし、毎日スーツ着て電車乗って・・・というのは想像できなかったので、両親にならい飲食業界へ何となく就職しました。
ああそうだ。
大学生時代には包茎手術受けてます。この記事は自分で読んでてもニヤつけるくらいには面白いので是非どうぞw↓
社会人(27歳で4社退職)
トリドール時代
2014年、株式会社トリドールという会社に就職しました。現在は株式会社トリドールHDに変わっています。
ホウレンソウや接客の仕方、衛生管理など、社会で生きていくのに必要な知識や、飲食店で必要になる知識・技術はここでほとんど教わった気がします。
関連サイト
何をしている会社かというと、国内で最も有名なのは丸亀製麺でしょうね。僕も正社員で店長をしていました。
超売れているお店なら、1日で1200杯くらいうどんを作っています。それはマジで考えたくない・・・。
僕はというと、1日の売り上げが10万行けばいい方という、たぶん国内最低の売り上げを誇っていたであろう店で店長をしていました。
「売り上げが低いなら楽だろう」って?とんでもない!
昼のピークが終わって、15時から23時まで、僕一人で営業していました。丸亀製麺でワンオペって、あるんですよ(笑)
おかげで飲食店での営業はほぼどこへ行っても大丈夫なほど強くなりました。何より品質にこだわった。そこらの社員より、僕が教えた大学生の方が、めちゃくちゃ綺麗な商品を作ります。
そんな一人営業は1年間続きましたが、いい暇つぶしになりました。「いかにマニュアルを守りながら最短で家に帰るか」これは面白いゲームでした。
ワンオペ開始当初なら退勤が25時を回ることもありましたが、最後の方は21:50分に帰宅していました。ごっちゃんです。
そんな風に楽しみながら毎日過ごしていたこともあって、「フードコートにまさなり有り」みたいな雰囲気が出ていました。
子供にもモテモテ。フードコートでかくれんぼしまくりましたからね(笑)
従業員とアパレルのお姉さんたちにもモテモテ。この年、1年で6人に告白されました。
で、何だかんだあって「うどん飽きた」で会社辞めますw
アボットチョイス時代
じゃあ何しようかと考えた時に、バーテンダーが思い浮かんだので就職しました。
彼女(丸亀製麺時代の従業員)が神奈川にいたし、東京に住むことに興味があったしで、引っ越しました。
都立家政という何とも微妙なところに住んでいました。新宿へ行くのには西武線で一本なのですが、僕の職場は六本木だったので綺麗に1時間かかっていました。新宿店で雇ってもらうはずだったので、移動時間は2倍。
毎日が凄く楽しかった。色んな人が来る。金持ち、美人、外国人、バーテンダー、本当に色々。
でも毎日凄くしんどかったのもここら辺。店には12時間くらい必ずいましたから、それに移動の2時間を足すと14時間。
起きてから出勤準備をしている時間に1時間くらいで、計15時間くらいは店の為に使っていました。家事をしたり、生活をする時間が更に1時間で16時間。
酔っていたり疲れていたりするので、寝て起きたら出勤です。休みは月に6回。給料は悪くない。まぁまぁしんどかったので、9ヶ月で辞めました。
今も当時のスタッフとは仲が良くて、頻繁に連絡を取り合う仲です。
リクルートライフスタイル時代
26歳で2回も転職している僕でも、普通に入社出来ました。HOTPEPPERという商品を、飲食店に売っていました。
契約社員の採用ページが、まぁ~キラキラしとるんですわ(笑)見ました?きらっきらでしょw
このページとマイナビエージェントに騙されて(←w)、就職しました。
全く合わないので最初の6ヶ月で「契機満了」扱いで辞めました。
取り敢えず、世の中の営業さんを尊敬しています。あと、営業向きの人はほどほどに図々しくて自己実現しやすそうだし金も貯まりそうだし羨ましいです。
でもBARに飲みに来る営業の人は基本的に苦手。ストレスたまってるんだろうな(笑)
今のお店(2018時点)
トリドールの本社が三宮なので、一時期新神戸に住んでいたんですね。その時の帰り道に、今のお店の社長が修業しているBARがありました。
というつながりで就職しました。
店舗移転オープンだったので、オープニングスタッフという形です。4ヶ月弱働いたところで疑問に思いふと計算してみたのですが、最低賃金完全に割っているんですよね。
神戸市の最低賃金は844円なのですが、ぼく今時給611円で働いています。
色んな意見がありますが、「人生の無駄遣いはいいや」と思い社長に退職の意思を伝えました。
辞めるって言ったら、「職変わるの何回目」とか、「場所変えても給料上がらん」とか、「腹決めて働いた方が」とか言われた。
あと1ヶ月あるから、「最低賃金払ってくれ」とか「残業計算してくれ」とかは黙っておいた。
— Masanari Takimura (@takky_wp) 2018年8月7日
あ、感情的になってこんなこと言ってくる人の下ではやっぱり働けないな僕は。ていうか、慰留したいならもっと他の言葉を選ぶべきだし、引き留めるつもりないなら不満は黙っておけばいいのに。
退職の意思を伝えてから1か月は一緒に働くわけですからね。どうせお互い感情を割り切って働くんだから、もっと考えて欲しかったな。
という訳で、2018年8月いっぱいで今のところも退職です。27歳で4社退職。ははは!
2020年8月24日追記
これを書いていた当時の僕も相当闇抱えていますね・・・。人生が上手くいかない訳だわ。でもこれ、誰が悪いわけでもないとは思うんですよね。
愚痴とか不満とかを言ったり、感謝や敬意を忘れたりしてるのは、要注意ですけど。
今後
したいことがあるわけでもないので、ひとまずは税金を納めながら生きていければいいかなと。
そう考えた時に、丸亀製麺のアルバイトは意外と心地よかったので、今後は少しバイト生活
=本気でフリーターやってみようかなと思っています。
何で社員じゃないのかって言うと、何だかんだで自分の時間が確保できないからです。
・9時間拘束の8時間労働で終わってる会社なんて日本に存在するの?
・終わった後自分の意思で直帰できる環境って意外と少なくない?
なんてことを考え出すと、人付き合いも労働時間もそこそこで、”ライフワーク”に時間をさける環境に居たいなと。
ライフワークって何よっていうと、ブログとTOEICに設定しました。
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それっぽいタイトルをつけてはいるものの、そんなに深い考えもなく、これも何となくですね。
フリーターでもブログで5万収益あればそこらの会社員より高いし、フリーターでもTOEIC700点持ってれば何となくかっこつけられるし。
っていうところの究極を目指しています。
ブログで月100万以上。旅行行きまくり。投資しまくり。ハッピーライフおーいぇ。最終的にはイケハヤさんみたいに、世論や常識をディスるところまで行きたいです(笑)
というのが、2018年8月までのtakkyの27年間です。今後ともよろしくお願いいたします。
ちなみに、「まずはこの10記事」というのを更新しましたので、ぜひ見てみて下さい。
このプロフィールは随時更新していきます。
ー8/24追記ー というわけで(?)、上記「今後」に記載したことは何も継続できていません。
何も継続する力がない?
多分違うんですよこれ。多くの人が同じ様な悩みを抱えていると思うんですけど、仕方ないんですよ。
まずは多動する。つまり数を打ってみることです。小さな一歩を踏み出しまくってみることです。
実際にこの記事を書いてから本日ここまで↓
・HUBで働きながら丸亀製麺で働いたり
・テックエキスパートを挫折したり
・テックアカデミーを挫折したり
・インデックス投資を始めたり
・結局三宮のBARでキッチン担当として働き出したり
・たった5ヶ月くらいでそのまま店長(アルバイトのまま、8月からは社保って話になってる)になったり
ま〜あ色々あるんですけど、久しぶりに成功体験を味わっているのがこれですね↓
・2019年10月、せどりを始めました
今にして思えば所持金ゼロ、クレカの枠だけでなんの知識もなく始めていたり、
プログラミング学習をしていた2ヶ月分の借金(ほぼ働いていない上に学習費や交通費)があったり、
マジで崖っぷちの運営をしていました。
2020年8月24日現在の僕は思うのです。
よう生き残った。過去の自分、よくぞ頑張った。今思えば年末は、夢中と必死の境目だったな。
本当にかなり危ない運営をしていたのですが、その頃の自分には感謝しかありません。
せどり開始4ヶ月
粗利で5万円突破しました
本当に誰でもできるんだなぁ。
恒例のプライスター画像貼っておきます pic.twitter.com/IMAW2hLiKJ
— まさなり☺︎せどりは楽しい (@Sedori_2nd_job) March 1, 2020
ご覧のように開始4ヶ月後には粗利で5万円を突破し、更にその3ヶ月後に10万円を突破。
まだ確定していないので公開していませんが、この記事を書いている今現在8月の粗利は16万を超えています。
見事、プログラミングにかけた借金(31万程)は全額返済いたしました!
実際、預金額も増え始めました。
現在では本業のBARが月収17万ちょい、せどりが16万として、月収33万程になりました。
(実際にはせどりに”支出”が存在するので30万弱です。)
少しづつ。本当に少しづつですが、気持ちに余裕が出てきましたので「またブログも書けるなぁ」って感じです。
僕は間違いなくせどりに人生を救われたので、もしあなたがせどりに興味あれば、応援しますよ!
せどりの人口が増えることも、僕は歓迎です。
最初の一歩を踏み出したい方、こちらにご用意してあります↓
今後ともよろしくお願いいたします^^
まさなり
はじめまして。
「ワンオペ開始当初なら退勤が24時を回ることもありましたが、最後の方は21:50分に帰宅していました。」との記事にびっくりしました。どのようにして、製麺、湯煎、おにぎり、天ぷら、火口、洗い場、レジ、仕込み等をこなしておられたのでしょうか。麺投入の間隔を長くしたり、時間帯によっては玉取りを0にするといったようなことくらいしか想像できません(麺投入の間隔を長くしすぎると、麺切れが発生しますし、その場合はお客様に待って頂くことが前提になりますでしょうか。)。また、片付けについては、釜、湯煎、天ぷら等の清掃、ゴミ捨て、床清掃などと、洗い場等をどのような段取りでやっておられたのでしょうか。ぶしつけなコメントですみません。