退職理由 トリドール 丸亀製麺の営業大好きだったのに2年4ヶ月で退職

takkyです。これまでは丸亀製麺・トリドールの店舗づくりの上手さや、お客様への魅せ方を説明してきました。今回はトリドールの 退職理由 と題して進めていきます。

飲食業が大好きで、店長として売り上げ構成比1位も取って、待遇も良くて、お金が貯まるという素晴らしい環境だったにも関わらず、何故やめてしまったのか。

そして何故今まで書かなかったのかも正直に明かします。実は思い出したくない、書きたくない部分も多く在りましたが、書くことによって前向きになれるなら書いてみようと思い立ちました。

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退職理由

結局は入社前の自己分析がまだまだ甘かったというのが理由です。

決して会社全体や職務内容が嫌いだったわけではありませんが、当時配属になったエリアの方針が僕とは合わなかったのです。社会人として、自分の甘さも思い知りました。

社会人としての基礎や、飲食業のイロハを教えてくれた会社に対しては今でも感謝しています。個人の飲食店に行くと「逸材」として扱ってくれる程、レベルの高い教育を施してくれました。

丸亀製麺でマニュアル通りに営業をこなせるのなら、どこの飲食店に行っても絶対に大丈夫だと確信しています。

自己分析の甘さ

僕は就活当時、「将来は独立して自分の店(BAR・PUB)を持つ」と考えていました。そこで店舗運営を学ぶことができて、飲食業での”売れるしくみ”も学べるトリドールを選びました。

大学でマーケティングの授業中に「丸亀製麺」について取り扱ったこと、初めての合同企業説明会で気づけば目の前に「丸亀製麺」の幟(のぼり)が立っていたこと、採用担当者がデキる男だったことも大きく関与していました。

 

当時は福岡でバーテンダーのアルバイトをしていたので、そこで続ける道も当然残されていましたが、「まぁ一度”就職”というのをしてみよう。」と思ったのでトリドールにしました。

今思えば、「将来独立して自分の店(BAR・PUB)を持つ」のであれば、トリドールに入社した判断が一番間違っていたと言えます。

したいことがはっきりしている状態で回り道をする必要などないのですから。僕のように「何となく就職」するのは後悔のもとですよ。

辞めた時の状況

一番楽しかった山口県での店長時代から、暗黒の山陰時代へと移り変わった時です。

山口県のMGR(マネージャー)陣は、僕のやり方(とにかく楽しく営業するだけ)に、それは深い理解とサポートを示してくれていました。

おかげで売り上げもどんどん上がりましたし、フェアメニューの売り上げ構成比で西日本一を達成することもできました。

その実績を買われ、島根と鳥取で2店舗の店長をさせてもらえることになったのですが、これがかなり大変でした。

山陰のMGRは異動前に、

「鳥取は週に1回顔出してスタッフとコミュニケーション取るだけでいいから、松江に住んでね。」と言っていたのですが、実際には鳥取でがっつり週3回営業に入らねば回らない状態でした。

また松江のお店はスタッフ間の派閥がひどく分かれており、前任の店長や現MGRへの信頼も希薄だったので、僕に対する風当たりは相当なものでした。

状況を整理すると「島根のお店に介入しなければならないのに鳥取店の人数が足りていないので、松江から週に3~4回鳥取に通う」状態でした。

松江から鳥取までは110Km以上あります。自動車専用道路をずーっと走り続けて、毎回きっかり2時間かかっていました。

行きに2時間帰りも2時間、合計4時間を週に4回やった時は何も考えていられませんでした。

4×4=16時間ですから、社員が2日間法律の範囲内で働くのと同じ時間、僕は何も考えずに運転だけしていたということになります。

気づいたら対向車線を走るトラックが目の前に居たり、中央分離帯が目の前にあったり、ひどいときには高速道路に車を停めて寝たりしていました。

考えてみると2時間かけて出勤をし、退勤してから2時間かけて家に帰るので、4時間が誰の為にもならない(給料すら発生しない)時間として、どこか宇宙に消えていっていたことになります。

人生の時間は命の時間です。勿体ないではすみません。

 

休みの日は車で出かけるのですが、特に知り合いもいないし、車なので飲むこともないし、食べ物だけ買って、ほとんどが家でオナニーをして終わりでした。

僕のプライベートに関係なく、電話もバンバンかかってきました。寝ているときに「車当てられたので遅刻します。」だの「子供が熱を出して旦那も仕事に行くので私はいけません。」だの。

以前も書きましたが、トリドールでは店長は一般社員。ですがMGRは管理職なので残業の概念がありません(雇われでそれもどうかと思うけど)。

であれば、この手の連絡はMGRにつなげるべきだと思うのですが、皆さんはどう思いますか?※今はどういう制度になっているのか分かりません。

ちなみに上記「旦那が仕事で・・・」の”旦那”から、遠距離恋愛だった彼女との3ヶ月ぶりくらいのデート中にめっちゃ怒った電話がかかってきたことがあります。

「俺も管理職だがお前の仕事ぶりなんて全然だわ。」「あなたには子供がいないからどうせ分からないでしょうが・・・」とにかく罵倒されました。

最後に妻(スタッフ)に代わって「店長めっちゃ怒られてたけど大丈夫?w」と聞かれた時には本気で、「どういうつもりなんだろう」と思いました。

 

「俺結局代わりに出勤したのに文句言ってくるなんて、この人たち何考えてるんだろう。」と、彼女とのデート中に泣きました。

色々な事情を知って神奈川から松江まで来てくれて、何も言わずにただ傍にいてくれた彼女には感謝しています。

 

社員だからアルバイトだからなんて、関係ないですよね。会社で働いているなら、どっちも従業員でしょう。実は日本に「社員」という言葉の定義はないんです。

そもそもそんなに怒って電話してくるくらいなら、最初から旦那さんが仕事休んで子供の面倒見ればいいのに。優れた管理職である自信があるのなら、そのくらいの調整は出来そうなものですけどね。

と話が逸れましたが、自分で書いてみてもかなりひどい生活を送っていたことが分かります。

松江に引っ越してから3ヶ月ほどで、「丸亀製麺」の看板を見るたびに吐き気がしたり、iPhoneデフォルトの着信音が聞こえるたびに恐怖を感じるようになりました。

何をしてても疲れていて眠い。夜になると「永遠に夜のまま明日が来なければいいのに」と、眠るまでずっとネットサーフィンをしていました。休みの日はすることが無いのでYouTubeかエロサイトを見てばかり。

このころは完全に、自分の意志で何かをすることはありませんでした。何も考えられない、思考停止の状態でした。

決定打

とある日、MGRの上長であるチーフMGRがお店に来ていました。普段は本社でモニターと数字を見ているだけの珍しいお偉いさんが来てくれて、

「何か困ってることない?」と言われたので、MGRとの関係が上手くいっていないこと、支援してくれていないことを正直に話しました。驚きの返答をされました。

「あーなるほどなぁ。でもそれはtakkyが悪いんちゃう?云々・・・・・・」

「はい、その通りです。貴重なお時間ありがとうございました。」

 

僕は内部の人間に対して、誰にも相談できない状況に置かれていることにこの時気づきました。同期は居ましたが、全国に散らばっているので解決にはつながりません。

外部の人間も同様です。愚痴を聞いてもらって元気になれるようなレベルはとっくに終わっていました。僕はこの時から孤独感をより深めることになります。

 

松江のお店で営業に入っていた時のこと、事務所に呼ばれていくと、従業員が3人僕を待っていました。

おばちゃん3人に囲まれ、2時間以上延々と僕に対する文句を言われました。原因を作ったのは僕だと思っていたので黙って聞いていましたが、それはひどい罵倒の嵐でした。

「店長なんていなくても今までもやってこられた。店長なんていない方がマシ。」「24歳そこそこの子供と働くなんて嫌だ。うちの5歳児の方がまだマシ。」「この人に子供の話してもダメ。どうせ親の気持ちなんて分からないから。」「あんたが作った商品のクオリティは嘘みたいに低い。」

もう何でもいいから思いついた不満を、全て僕に関連付けて言ってるだけのようなもんです。

 

店長いない方が良いのでしたら、僕と利害が一致するのでどうぞ。

僕がいなくなって5歳児の方が良いのなら利害が一致するのでどうぞ。

僕に親の気持ちが分からないかも知れませんが、あなたに人の気持ちは分からないですよね。

商品のクオリティは日本一こだわってやっていました。嘘はおやめください。

 

そんな風に思いながら、他の従業員が出入りする事務所で2時間以上も怒鳴られ続けました。

人生最大の屈辱的経験になりましたが、おかげで吹っ切れました。

その日の夜に事情を知ったチーフから電話がかかってきて「takkyもっとちゃんと信頼関係作らなあかんよ」と諭されましたが、「また一方的に怒られた」としか思いませんでした。

すぐに人事部に連絡をし、事情を説明したうえで次の日から1週間の休みをもらいました。携帯の電源もOFFにし机に放置したまま、僕は実家に帰りました。

それから退職まで

人事と話をし、色んなエリアや部署が僕を欲しがってくれていることを知りました。ですが、「うどんはもういいや」と思ったので丁重にお断りしました。

ちなみに人事部社員にも、当時の僕の上司の名前は有名だったようでした。

とにかく人事と話し、円満退職を目指すという方針に決定し、1か月間は松江以外のお店(自分の鳥取店と、お隣の出雲店)で営業をこなしました。

やはり僕は営業が大好きで、出雲の売り上げは一気に上がりましたし、商品のクオリティや提供スピードにも磨きがかかっていきました。ライトの照射角度にいじる程、他にすることがないくらいのレベルまでやり込みました(笑)

そして1か月は平和に過ぎ、無事退職します。

退職後

あれだけ何度も通った道で無事故無違反(実際は多分・・・。)だったのに、松江の家から広島の実家に帰る高速道路で事故をしました。

左車線を走っていたはずの僕は、ガードレールに車の右側を当てて目が覚めました。自走できる状態だったので、気が動転していたのもあってそのまま実家まで帰りました。

事故の影響でドアが開かなかったので驚きました。

一歩間違えたら過労死するところでした。まぁ既に辞めてはいましたけど。

車の写真が残っていないのが非常に残念(?)ですがベッコベコで、よく生きてたと思います。友人に運転教官がいるのですが「ふつう死ぬって言われてるよ」と言われ、寒気がしました。

これまで退職理由を明かさなかったわけ

2つあります。

1つ目は、単に思い出したくなかったから。嫌な経験は思い出したくないのです。

2つ目は、負い目に感じているからです。

僕も日本という国で、一般的な教育を受けて育っています。なので「3年もたずに辞めた」というのが非常にコンプレックスなのです。

今日色々思い出しながら書いてみましたが、負い目に感じる必要は全くなかったです。僕は当時、自分の体力や能力の限界を超えて現場を何とか回していました。

相談できる人が一人もいない」にも関わらずです。

負い目を感じる必要がないどころかよくやったと褒めてあげたいですし、当時の上司や従業員にはやはり今でも怒りを覚えます。僕も一人の人間なので。

まとめ

今回の記事は僕の過去についてのみの記載になりました。ですが、新入社員の皆様やトリドールへの入社を考える皆様にとっては、参考になりうる内容です。

「3年続かなくともすっぱり辞めていい」ですし、「自分のやりたいことは本気で探したほうが良い」のも間違いのない真実です。

ちなみにトリドールを退社した後の僕はこの事実に気づいてこそいたものの、自己分析を突き詰めてしなかったために、同じ様な過ちを繰り返すことになりますが、今はいたって健全に毎日を歩んでいます。

大きな失敗をするのも若者の特権だと思うので、その意味では「まだ取り返す時間が残っていて良かった」と思っています。

 

面白いことに、今になっても超スピードでうどんを作っている夢を見るのです。よっぽど営業が好きだったんでしょうね(笑)

営業だけ入れば、以前より早く回すシミュレーションをすることもあります。山口時代の社員たちからは復帰の連絡が定期的にきます。

バーテンダーやブログと向き合える「今」があるのは、トリドールに踏ん切りをつけたからです。丸亀製麺は凄く楽しかったのですが、会社員に戻るつもりはもうありません。

当面の目標は、本業とこのブログでの収入を40万円(半々)まで持ってくことです。それができたら次のステップに進みます^^

身の上話を聞いてくださり、ありがとうございました。

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2 件のコメント

  • takkyさん

    貴重なお話書いてくださってありがとうございます。
    勝手に共感しております。(´-`).。oO

    自己分析むずかしいですよね!
    私は今
    転職は簡単だけど、
    同じことの繰り返しになるってわかってて
    でも一歩が踏み出せない、ところにいます。
    まずは自分としっかり向き合うところから始めようと思います。

    • まめさん

      僕はいつも心が惹かれる方へ勢いで飛び込んでいきました。その結果後悔もします。
      かといって心も惹かれない方向へ行くのは精神に無理が生じるというものです。

      心の惹かれる方に、冷静に向かうことが出来たらいいですよね^^

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